まよなか。

こんにちは

11月13日

バタバタしてたら過ぎてたけど記事にしたかったことなので書きます。

7月に、「うごメモはてな」で出会ってから7年くらいだらだら付き合いがあったネ友が亡くなった。

一つ上の男の子で、出会った時はお互い中学生だった。

彼は精神を病んでいて、不登校だったし、入院したり、突然いなくなってみたりとなかなか忙しい人だった。

初めて顔を合わせたのも中学生の時で、親に「どこかに行って」と言われたお金で青森まで来た。

当時のわたしは携帯なんて持ってなかったし、うごメモのコメント機能でやりとりをして時間を合わせて会って、2人でマックに行った(わたしの地元にはマックしかない)。

オフ会とか初めてでうまくしゃべれるわけもなく、黙ってハンバーガー食べて、それで解散した。

そのあとGmailのアカウントをつくってメールでやり取りしたり、Twitterを始めてからもずっと相互でいてくれた。

3年前わたしが東京に行った時はじゃがりこを持ってきてくれて、やっぱり2人でマックに行った。

LINEとかで話してる、とかそういうのは一切無かったけど、ずっと昔から知っている人なので落ち着くというか、安心できるという意味で好きな人だった。

年明け、日付が変わってなんとなく「あけおめ」ってメールを送って受信ボックスに戻ってきたら、彼からの同じ内容のメールがあって2人で笑ったり、どうでもいい画像を送りつけあったり、Twitterで死にたいって言い合って、わたしが病んでる時には大丈夫だよって言ってもらったり、そんな友達だった。

その彼の誕生日が11月13日だった、それだけの話。

98年のその日は「13日の金曜日」で縁起が悪いって言ってたなぁなんてことも思い出した。

亡くなったことを教えてくれたのは、彼の携帯を使ってツイートをしてくれたお兄さんだった。

ショックだった。嘘だと思った。

前日のツイートだって見ていたし、内容はすごい病んでいたけどそれがいつも通りだったから。

事故って言っていたけどきっと事故じゃないだろうなって思った。

ずっと死にたかった人が念願が叶って死ねたのに、残された人がうじうじ言うのも違うけど、もう一回会いたかった。

入院してたときに無理にでも会いにいけばよかった。

きっとわたしは彼のことを忘れられないし、泣くことはもう無くなったけどたまに話を聞いてもらいたくなるんだろうな。

私のことを、私がしていたことを否定しなかった大事な人だったから。

死にたいって言ってる人を止めるようなことはできないけれど、死なれてしまったら悲しいのでみんなに生きてて欲しいし、でも私にはそんな人を救えるようなものは何もないから、死なないようにって願うことしかできない。

でも死にたいくらいつらいなら死んでしまった方がその人にとってはいいのかもしれない。

助けられないから、救えないから何も言わないのは弱さだ。

私もどちらかというと死にたい側の人間だから、そのくらい気持ちが落ち込んでいる時に周りに何か言われたら「何もわからないくせにうるさい!」って思う。

でも余裕がある時は、私が悲しむってことを思い出してくれたらいいなぁって思います。わがままでごめんなさい。

わたしが死んだら悲しんでくれる?